石川県立図書館に行った感想

あの図書館は、地域にも、部外者にも、開かれている。僕のような観光客が、入館証やゲート通過なしに、ぬるっと内に入っていける。中では、小さい子供が走っていたり、中高生が机で勉強をしていたり、大人が写真をとっている。この図書館は、そういうふうに自由な空気が流れるように設計されたのだろうと思った。ここら辺りに住んでいる人をとても羨ましく思った。同時に、公共施設とは、本来こうあるべきではないかと思った。

僕の中にステレオタイプとして存在する公共施設と石川県立図書館は同じところと異なっているところがある。まず同じところは、どちらも公共施設であり、税金で運営されており、多様な人が利用するということ。違うところは、前者は入館証がありゲートがあり手続きがあるが、後者は自由に出入りできて手続きがないということ。

公共施設は、多様性と向き合いながらも、それらを包摂しなければならない。税金を使って運営できるのは、全員を包摂するという目的があるからだ。

前者は、外と内の境界にゲートを設けたり、ルールを作ったりして空間を守っている。それは手段として簡単だし、運用も楽であるが、全員を包摂できない。また、利用者としては、常に嫌疑をかけられ、緊張する。明示的なルールもあれば、小さい頃に親から教えられなければわからない暗黙のルールもある。

だから、建築やデザイン、都市工学、その土台となっている認知科学が、より良い解決策を提案しなければならない。石川県立図書館は、そういう現代の知を活用して、境界型の防御やルールの運用なくして、公共施設を成立させているんだなと思った。入館証やゲートはないけど多様な人がサービスを享受できていて、少なくとも僕は居心地が良いと感じた。